「ロッコとその兄弟」(邦題:若者のすべて)と「白夜」。数少ないヴィスコンティのモノクローム映画。第二次大戦後、南イタリアからミラノに出稼ぎに来ている家族を描いた「ロッコとその兄弟」。レナート・サルバトーレ、アラン・ドロン、アニー・ジラルド共演。サルバトーレ演ずるボクサーがチャンピオンになるが、博打と女に溺れて試合に出れない、代わりに弟のロッコが挑戦して、チャンピオンになるという、戦後の日本にもあった戦後の混乱を描いた。アラン・ドロンが長い股引のような下着を着ていたので、イタリアにもモモヒキがあるのかと思った。
「白夜」マリア・シェル、マルチェロ・マストロヤンニ、ジャン・マレー共演。つい先日TVでやっていた。ジャン・マレーが出ていたとは思わなかった。かなり年配だったので、「オルフェ」はこの作品よりも10年は前になるだろうか。あの時は、まだ若い詩人の役だったし。浦山桐郎の「青春の門」の大竹しのぶのような、何も知らない初なマリア・シェルが、下宿人のジャン・マレーに一目でのぼせてしまい、仕事で遠方に出かけたあとも約束の時間に橋の上で待ち続けている。通りがかりにそれを見つけたマストロヤンニが足繁く口説いても単なる友人の域を出ない。やっとマリアがその気になって結婚しようというときの雪の日に、橋の上で待っている背の高い人影。マリアはその胸に飛び込み、マストロヤンニは慙愧の涙に暮れる。
なんという孤高な精神主義の映画であろうか。誰が見ても不幸になることは解りきっている結婚。リアルな社会主義的な立場であれば、当然マストロヤンニとの幸せを取るだろう。
「ロッコ」の時点では、そのような貴族的な考え方はなかったのか。戦後のリアリズム時代が終わって、貴族的な生活を取り戻し、裕福な考えが支配したのだろうか。思うにヴィスコンティーは、ロッセリーニ、デ・シーカ、ピエトロ・ジェルミなどのリアリストと一緒には出来ない。
「ロッコ」まではそうだったかもしれないが、「白夜」「夏の嵐」は恋愛至上主義といえるが、前者は肯定的に終わるが誰が観ても不幸な将来が見える。後者は否定的な悲劇と終わる。
恐らく、モノクロからカラーへの過渡期で、「白夜」での現実逃避的な終わり方を「夏」で現実に引き戻されたという思考回路だと思えます。ちなみに「夏の嵐」はカラーで、若いオーストリア軍将校と恋に落ちる侯爵夫人をアリダ・バリが美しく狂おしく演じる傑作といわれている。
ヴィスコンティーは、やはり「山猫」の豪華さがいい。
jimma090421
ヴィスコンティについては作品もそうだが、「夏の嵐」辺りから助監督で付いているフランコ・ゼッフィレッリとのこと、そしてゼッフィレッリの半生に興味がある。
後日、そのことに言及したい。
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